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さらば同潤会アパート−百年後に引き継がれたひたむきなクラフトマンシップ
JUGEMテーマ:マンション

★ 5月8日付産経新聞によれば、関東大震災後の復興事業で建てられ、日本の近代的集合住宅の先駆けとされる同潤会アパートで唯一現存する「上野下アパート」(東京都台東区)の解体が決まり、内部が報道陣に公開されました。6月に取り壊しが始まり、マンションに建て替えられます

 建て替え事業にかかわる
三菱地所グループによると、上野下アパートは1929年築で鉄筋コンクリート造り4階建ての2棟(計71戸)です。14階建てのマンション(128戸)に生まれ変わります。工事は2015年夏に終わる予定で、1戸当たりの専有面積は最大で約40平方メートルから約75平方メートルに広がります。

 現在の居住者65人のうち55人が建て替え後のマンションに入居します。

 以上が産経新聞の記事の概要です。
日本の共同住宅のパイオニアで、建築史にその名を刻んだ同潤会アパートがついに姿を消します。中村草田男は「降る雪や明治は遠くなりにけり」という有名な俳句を残していますが、「昭和は遠くなりにけり」という思いを強くする記事でした。

 私が同潤会アパートの存在を知ったのは、平成16年の旭化成の
『アトラス江戸川アパートメント』の分譲でした。これは、東洋一のアパートと言われた『同潤会江戸川アパートメント』の建替事業で、売主である旭化成の力の入れようも並ではなく、旧同潤会アパートの象徴であった「社交場」「アトリエ」といったコミュニティ機能の復活にも力を入れたマンションでした。当時江戸川エリアに全く関心がなかった私も、「いっぺんモデルルームに見学に行こうかな」と真剣に考えたくらい、光ったマンションでした。

 実は、代官山のランドマークマンションである
『代官山アドレス』も、同潤会代官山アパートメントの建替事業で誕生したものですし、同潤会青山アパートメントの建替が現在の『表参道ヒルズ』です。これらは元々立地が商業地で良かったこともありますが、住宅系敷地にあった同潤会江戸川アパートメントの建替事業である『アトラス江戸川アパートメント』がグッドデザイン賞を受賞し、今でも売却益が出る優れたマンションであるなど、同潤会アパートの建替事業には、デベロッパーも特別に力が入るようです。

 先週、図書館でたまたま借りた
「マンション60年史−同潤会アパートから超高層へ」(1989年出版)によれば、同潤会とは、上記記事にあるとおり、関東大震災後、罹災者の住宅の回復安定等を目的として設けられた財団法人でした。大正15年から昭和16年の間に2,508戸のアパートを造りましたが、これらはすべて震災を教訓に対火耐震のRC造りで、大半が3階建でした。

 当時の演劇評論家である
坪内士行は、江戸川アパートメントについて、次のように回想しています。「江戸川アパートの建設プランの刷り物を目にした。私は「これだ」といっぺんに決めて申し込んだ。お値段の方は案外に安い。」ここにあるように、江戸川アパートメントは、「所謂超満員にして係員は常に申込者を謝絶することに苦しんでいる有様」だったそうです。

 「同潤会18年史」によれば、
同潤会アパートの特徴は、次のとおりです。

「|録未飽汰瓦覆襪海函↓火災に安全なること、E霪颪良坩他なきこと、は騨里寮験萢夕阿鮗由に選択しうること、ド要な設備を一切完備せること」

 設備の新旧の違いはあるにせよ、その目指すところは現代の分譲マンションと異なるところがありません。このようなアパートを造るのを目指して、同潤会は当時の建築界の精鋭を集め、極力アメリカ方式を採用しようと、議論に議論を重ねました。「日本建築家山脈」という本は、このような光景を、「そこに一貫するのは合理的な、しかも堅実な精神であって、これを大正デモクラシーの残映と見ることもできよう」と評価しています。

 同潤会アパートの価格は
1戸が3,000円相当で、月賦金が1,000円について6円50銭から7円、火災保険料・地代管理費などを合わせて月26〜27円この家賃並みの月賦金を15年払うと、住宅は自分のものになる、という仕組みでした。「家賃並みのローン支払額」というセールスポイントも、現代のマンション事情と相通ずるものがあります。

 また、
同潤会職員の勤務形態は滅私奉公的で、各アパートに住まわされ、昼は分譲住宅の仕事をしながら、夜はアパート管理をしていました。「前線に出てお客様に接し、サービスに努めることこそ本会職員の本務」と説かれていたそうです。

 戦後、
GHQは、同潤会を閉鎖するために、アパートを1戸ずつ払い下げることを指示、ところが当時はアパートの1住戸の分譲など考えられないことだったので、その法的関係、管理体制のあり方に大変苦労したようです。こういった経緯もあって、建物区分所有法が制定された、ということでした。

 このような
苦労の結晶であった同潤会アパートは、「戦前の住宅改良思想の頂点の一つ」と高く評価されています。そして、同潤会アパートができてから90年近くを経た今、東日本大震災を経験して、さらに安心・安全なマンションを目指して、生まれ変わろうとしています。

 同潤会アパートが関東大震災勃発を契機として建築が始まり、東日本大震災の対策が強く求められる現代に姿を消すというのは象徴的な出来事です。あたかも同潤会アパート自身が自らの役割を果たし終えたことを自覚し、「後は任せたぞ」とばかりに私たちの背中を押してくれているような気さえします。

 新しい時代の新しいマンション、それは同潤会アパートメントの精神そのものなのでしょう。

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