<< グリーンパーク第6五反野(中古)−都心の10分の1の価格で変わる人生観 | main | ザ・パークハウス アーバンス 表参道(新築)−珠玉の立地、わずか12戸の販売 >>
川向こうのタワー−ムサシコスギと川口の逆襲

JUGEMテーマ:マンション


★ 今晩の飲み会のコミュニティは「なぜか埼玉」都民の同僚・後輩達でした。武蔵小杉在住の私は関係ないはずなのですが、「お前もどうせ南北線だろう」という無茶な理由で王子まで連行されたのでした。

 一緒に行ったメンバーは、浦和のマンションに住む同僚のA君と、鳩ヶ谷の戸建てに住む後輩のB君、赤羽の寮に住む若手のC君とD君で、どうみても私がいるのは場違いです。居酒屋に入ると
浦和の民が自然と上座に座り、鳩ヶ谷民がその横に、赤羽民がその対面に座って、このベン図に入れないコスギの民は一番下座となりました。

 浦和の民がひとしきり浦和の教育環境がいかに素晴らしく、浦和の住民がいかに教育熱心であるかを語った後、最近
赤羽の寮を抜け出して川口のタワーマンションに移り住んだE君の話題となりました。

「川口にタワマン?キューポラのある街じゃないのか」

 川口に足を踏み入れたことがない私の川口イメージは、昭和30年代に一世を風靡した映画のかすかな記憶でした。

「吉永小百合かよ。違う違う」

 話が通じたのは浦和の民の同僚だけでした。

「今や川口はタワマンの街なんだぜ。駅周辺には10本ぐらいタワーが林立している。」

 赤羽のC君も口をはさみます。

「私ら赤羽組も荒川を渡って川口に買い物に行きます。工場跡地で広い敷地がいっぱいできたんですね。アリオもイオンモールもララもありますし、そごうもありますしね。」

「荒川渡ると東京じゃないから、地価が15%くらい安いんだよ。でも便利さはほとんど変わらないから、タワマンがぼこぼこできた。元々工業都市だから土地規制も緩かったし。」

「…川口って人口45万くらいだったっけ」

「いや、人口は60万人くらいいってるんじゃなかったか。外国人も増えて西川口は中華街みたいだよ。お前の知っている川口は昭和の川口だな」

「川口には映画館もあるんです。赤羽の映画館は潰れたってのに。映画も川口に見に行ってます。」


 外国人や映画館はさておき、私の頭のなかでさっきから「ん?どっかで聞いたような…」と、彼らの話したフレーズが反芻されていました。10本くらいのタワマン、川を渡る、工場跡地、アリオ、ララ、東京じゃないから地価が安い、人口増…

「なんだ、コスギとそっくりじゃないか」

 武蔵小杉も東京から多摩川を渡った向こう側にできたタワマンの街です。多摩川を渡ると東京ではなくなるため、地価はぐっと安かったのです。「武蔵小杉」駅の昔の名前は「工業都市」駅で、駅周辺には東京機械や不二サッシ等の工場がありましたが、これらがタワーマンションや商業施設(グランツリー武蔵小杉)に変わっていきました。

 東京23区に住むことを憧れた私は、資金の面等から夢かなわず、
多摩川を渡りきれませんでした。そんな人達ばかりではもちろんないのですが、東京に向かう多摩川の手前で、大田区や世田谷区を見下ろすようにタワーマンションが林立、川口と同じように人口が増加し、街は拡大し続けています。

 あたかも都心から東西にまっすぐ線を引き、
北と南、埼玉と神奈川で、線対称となったような川口と武蔵小杉です。そこは必ず川で区分され、ある意味では一段低く見られた場所が今、川の向こうにある23区に対して逆襲をしています。

 今や川向うのコスギという街に、自由が丘以南にお住いの東京23区の方々も買い物に来られるようになりました。砂漠のようだったコスギに
東急スクエアができて涙しララができ、そしてグランツリーができて、「武蔵小杉」駅で下車した大勢の人たちがグランツリーに向かって歩いてくるのを見た時は、感動のあまりその場に立ち尽くしたものです。もしかすると川口市民も、同じような感動を胸に抱いたかもしれません。

 しかし、
「シン・ゴジラ」では、ゴジラを東京に足を踏み入れさせないため、多摩川が防衛ラインとなり、コスギは「捨て石」となりました。もし次にゴジラが茨城県沖に現れた場合、荒川が防衛ラインとなり、川口はコスギ同様、「捨て石」となるのでしょうか。所詮はそういう位置づけなのかもしれませんが、日本が平和な間はたっぷりと繁栄していきたいものです。

『分譲マンション・アップデート』へ


| ノウハウ・経験談 | 21:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
Comment
コメントする









この記事のトラックバックURL

トラックバック